「日と昌と晶の違い」について

日と昌と晶の違い - チョコっとラブ的なにか」を読んで。

日子が無くて、昌子は"まさこ"で、晶子が"あきこ"な理由を外人に説明が出来ない

そもそもこの発想がなくて、面白いなあと思いました。

さて。漢字専門ではないのだけれど、気になったのでちょっと確認してみました。


私の手元にある角川新字源(改訂版)によると、「昌」の字のなりたちは

会意。日を重ねて、日光があきらかにかがやく、ひいて「さかん」の意を表わす。

とのこと。
「あきらか」の意味もあるようですが、「繁昌」(現代では「繁盛」が一般的)のように「さかん」の意味で使われることが主のようです。
なのりとしては「まさ」のほかに「あき・あきら・あつ・さかえ…すけ・まさ・まさし…よし」などがありました(…で一部省略)。「昌子」で「あきこ」も十分あり得ますね(まだ見たことないけど!)。「昌言」(ショウゲン:道理にかなったよいことば)のような言葉もあるので、その辺りから「まさ」の読みができたのかなあとか、これは単なる推測です。


対して「晶」の字は

象形。もと、星がちらばりかがやくさまにかたどる。

とのこと。


ちょっと、どちらの字がより古いとかわかりませんが…。
現代日本人の私たちからすると、同じ「ショウ」の字なんですが、韻が別なので、派生関係とかなさそうだなあと思います。


あと、「日子」という名前は歴史的に考えて、かなり付けにくいものがあると思います。ある意味、「天皇」って付けているようなものですよね。しかも女子に?ないわーって感じなんですけど、この辺の事情+感覚を外国の方に伝えるのは、確かに難しい。本当にそう思いました。


あまりお役に立てませんでしたが、この辺まで。