カタカナ

国家生き残り戦略としての日本語リストラ - Tech Mom from Silicon Valley」を読んだ。
この手の議論はそれこそ100年以上前から(略)。普段ならブコメで済ますところなんだけど。


ちょっと書いておこうかと思うきっかけになった部分↓

水村美苗さんの本だったか、「かつてカタカナは、漢文を読み下すのに使われていた文字で、男・権威のある人が使うカナであったのに対し、ひらがなは女子供の文字だった」という話を読んで納得した。そういえば、明治憲法はカタカナで書いてある。その「外国からはいってきたものの権威」が、戦後残滓として残ったのが、「外国語はカタカナ」ということじゃないかと思う。

外来語をカタカナ表記することと、漢文を読み下す際に漢字カタカナ交じり表記することの関連が、何かあの本には書いてあるんだろうか?いや、何となく連想なんだろうなあ。


近代には普通の文章が漢字ひらがな交じり文で書かれるようになります。読売新聞とか漢字ひらがな交じり文ですね。でも西洋思想の翻訳には漢文調でなされるものも多く(「哲学」「範疇」などは西洋思想の翻訳から生まれた漢語)、評論のようなかたい文章も漢文調で書かれました。
法律等が漢字カタカナ交じり文で書かれているのは公式な文章だから。それまでは公式な文章は漢文で書かれており*1、その一環としてひらがなではなくカタカナなのです。


外来語をカタカナで書くのは権威付けではないと思われます。そもそも外来語のカタカナ表記は戦後はじまったわけではありません。『舞姫』とか、地名はカタカナ表記でしたよね。音を表すにはカタカナを使うというのはもっと古くからある、伝統的なもの(それこそ漢文訓読の流れ)です。


というわけで、カタカナ=「外国からはいってきたものの権威」は明らかに言い過ぎだよと。
どうにもこうにも、日本語の歴史を知る機会が少ない(大学で日本語・日本文学とか言語系とか先行しないかぎり「ない」?)。せっかく、日本語のことちょっと考えてみたって人がいるのに、基盤となる知識が与えられてないというのはとても残念なこと。国語教育に少し盛り込まれればいいのに。

*1:例えば日米和親条約は公式な英語版・漢文版と非公式な書き下し版がある